東京高等裁判所 平成3年(行ケ)50号 判決 1992年10月15日
京都府京都市南区吉祥院西ノ庄猪之馬場町一番地
原告
日本電池株式会社
右代表者代表取締役
寿栄松憲昭
右訴訟代理人弁護士
竹内澄夫
同
市東譲吉
同
矢野千秋
同
前田哲男
右訴訟復代理人弁護士
小岩井雅行
右訴訟代理人弁理士
富田修自
同
堀明〓
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被告
特許庁長官 麻生渡
右指定代理人
高松武生
同
左村義弘
同
田辺秀三
主文
特許庁が昭和六二年審判第一六五七九号事件について平成二年一二月二〇日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
主文と同旨の判決
二 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、名称を「鉛蓄電池」とする発明(以下「本願発明」という。)について、昭和五五年四月九日、特許出願をしたところ、昭和六二年七月一六日、拒絶査定を受けたので、同年九月一七日、審判を請求した。特許庁は、右請求を同年審判第一六五七九号事件として審理し、昭和六三年七月一五日、右出願を出願公告したが、平成二年一二月二〇日、右請求は成り立たない、とする審決をした。
二 本願発明の要旨
「硬質活物質中に異方性の大なる黒鉛を添加した厚形正極板を備える極板群を有し、該極板群の圧迫度を三〇~五〇kg/dm2としたことを特徴とする鉛蓄電池」
三 審決の理由の要点
1 本願発明の要旨
前項記載のとおりである。
2 引用例
(一) 引用例一(特開昭五四-六三三三一号公報・昭和五四年五月二二日発行、審判甲第一号証)には、引張強度三〇〇kg/mm2以上の炭素若しくは黒鉛繊維を活物質中に二~五%添加した極板を備えることを特徴とする鉛蓄電池(特許請求の範囲)であって、正極活物質に機械的性質の優れた炭素若しくは黒鉛繊維を従来例よりも多量に添加することによって寿命性能の優れた鉛蓄電池を提供する(一頁下右欄一七行ないし二頁上左欄二行)とあり、これを自動車電池用格子に充填し、熱成、初充電の各工程を経て公称容量三五Ahの鉛蓄電池を組み立てた(二頁上左欄一一行ないし一三行)との記載がある。
そして、通常三五Ah程度の容量をもつ自動車用鉛蓄電池の正極と負極は、極板群として形成されるものであるから、前記の記載によれば、引用例一には、「活物質中に黒鉛を添加した正極板を備える極板群を有する鉛蓄電池」の発明が記載されているものと認められる。
(二) 引用例二(昭和五二年六月一日株式会社岩波書店発行、「岩波理化学辞典」第三版、審判甲第二号証)には、(黒鉛の)性質はC軸方向に対し非常に異方的である(三五七頁「グラファイト」の項)との記載がある。
(三) 引用例三(昭和五三年七月五日炭素材料学会発行、「炭素」一九七八、Na九四、審判甲第三号証)には、黒鉛はその化学結合が強い異方性を持って(一〇六頁2.1結晶構造の欄)との記載がある。
(四) 引用例四(昭和四七年五月五日電気化学協会発行、「電気化学および工業物理化学」第四〇巻五号、審判甲第四号証)には、以下の記載がある。
硫酸中での黒鉛の陽極酸化については、古くからTieleなどによって研究されており、適当な条件のもとでは、黒鉛は硫酸と
nC+3H2SO4〓
Cn・HSO4・2H2SO4+H++e
のように反応し、HSO4-は黒鉛結晶の層間に入ってイオン結合し、H2SO4はHSO4-の間にあってスペーサーとして働き、全体として、比較的安定な黒鉛酸性硫酸塩層間化合物をつくると考えられている。炭素原子の正六角網平面が三・三五Åの面間隔で積み重なった黒鉛の層状構造は陽極酸化による硫酸の侵入で面間隔が七・九八Åにまで広げられる。そして、黒鉛中の炭素層数に対する化合物層数が、n枚に対して化合物層が一枚の割りで入った第n次ステージから、一枚に一枚の割りの第一ステージまで、ある規則性をもって移行する(三八〇頁本文左欄二行ないし一六行)。
黒鉛の結晶内で層間化合物が生成すると、その生成量に比例して、結晶がC軸方向へ膨張する。黒鉛の結晶集合体が等方性であるときは、この膨張による伸び方向が一定しないため、化合物が生成してゆく過程で黒鉛は細かくひび割れを起こし、ついには原形をとどめないまでに損傷を受けることがある。これに対して、異方性の大きい黒鉛を試料とするときは、その伸び方向が常に一定しているので、黒鉛は一方向にのみ体積膨張を起こすだけで、その他、外観上の変化は殆ど認められない。したがって、三〇〇〇℃で熱処理した異方性熱分解黒鉛は層間化合物の生成過程を調べるための電極試料としては適当な材料である(同右欄一一行ないし二二行)との記載がある。
(五) 引用例五(特開昭五二-三一一八号公報、昭和五二年一月一一日発行、審判甲第五号証)には、実験結果として、次表と、以下の記載がある。
加圧力kg/dm2) 〇 一〇 二〇 三十 五〇 七〇 一〇〇
寿命サイクル 四〇 五七 六五 一五〇 三二〇 四八〇 五一〇
(二頁上左欄一行ないし五行)
(鉛蓄電池において)極板群の加圧力は二〇kg/dm2以上で等しい。しかし、電池組立上からは、高加圧下で極板群を電槽に挿入する工程は作業上望ましくなく、特に五〇kg/dm2以上の加圧下では相当に挿入が困難である(二頁上左欄一〇行ないし一五行)、本発明のセパレータは極板群を電槽に挿入する以前に加圧してあるため、実際挿入時には低い加圧相当の抵抗しか生ぜず、容易に電池を組み立てることが可能である。しかも、電池寿命に与える効果は挿入困難な高加圧時と同様大きい利点がある(前同頁下左欄八行ないし一三行)。
3 本願発明と引用発明一との一致点及び相違点
(一) 一致点
両発明共、活物質中に黒鉛を添加した正極板を備える極板群を有する鉛蓄電池である。
(二) 相違点
ア 黒鉛を添加する活物質が、本願発明では、硬質活物質であるのに対し、引用発明一では硬質であるのか、他のものであるのか触れていない点
イ 活物質に添加する黒鉛が、本願発明では異方性の大なる黒鉛であるのに対し、引用発明一では異方性の大なる黒鉛であるのか、他のものであるのか触れていない点
ウ 正極板が、本願発明では厚形正極板であるのに対し、引用発明一では厚形正極板であるのか、他のものであるのか触れていない点
エ 極板群の圧迫度を、本願発明では三〇ないし五〇kg/dm2としているのに対し、引用発明一では極板群の圧迫度について触れていない点
4 相違点に対する判断
(一) 相違点アについて
a 一般に、電極活物質ペースト作成の際の練液量に対する活物質の割合、すなわち、ペースト密度の大小によって化成後の活物質は硬質にも軟質にもなり、電池性能にも影響を与えるものであること、具体的には、練液量を少なくするとペーストは硬質となり、多孔度の小さい極板ができること、硬質ペーストは一般に初期容量は小さいが寿命の長い極板を作るといわれていること、練液量の多少及び練液比重の高低は、これによってペーストの硬度が変わり、極板乾燥後の多孔度に関係し、活物質の発揮する容量及び寿命を決定する因子となること、電池の用途に従って練液比重と量の選択が問題となることは周知の事項である(例えば、昭和二八年一二月一日共立出版株式会社発行、田川博著「電池および蓄電池」一〇二~一〇六頁、第二編第七節一「ペースト調整法」の項参照)。
b そうすると、引用発明一の活物質を硬質活物質とするか軟質活物質とするかは、電池の用途、必要とする初期容量、寿命などを考慮して選択決定すべきことであり、かつ、右発明の活物質を硬質活物質とすることを妨げる格別な阻害要因あるとは認められないから、相違点アは、当業者が容易に選択決定できる程度のことである。
(二) 相違点イについて
a 一般に黒鉛が異方性を有することは、引用例二ないし四から明らかである。
b 一方、請求人(原告)が援用する「膨張化黒鉛への新技術-黒鉛層間化合物の利用-」(工業技術院大阪工業技術試験所発行、大工試ニュースVol.二三、一九七九 No.一〇、審判乙第一号証)には、「従来のものとはまるで異なる新しい材料、たとえば、ガラス状炭素、繊維状炭素、異方性熱分解黒鉛、等方性黒鉛、生体適合性熱分解黒鉛などがつぎつぎ開発された。」との、「黒鉛層間化合物二次電池」(電気化学協会発行、「DENKI KAGAKU」四一巻 No.一、一九七三、審判乙第二号証)には、「一般に黒鉛電極といわれているものは結晶の配向が等方性であるため、層間化合物の生成に伴う膨張によって、電極としての形状をとどめることができないまでに崩壊することがある。」との各記載があることを根拠に、黒鉛の中にも等方性のもの、すなわち異方性でない黒鉛が存在すると主張する。
c しかし、審判乙第一号証の前記記載は、従来のものとはまるで異なる新しい材料として異方性熱分解黒鉛と並んで等方性黒鉛が開発されたことが記載されているのであり、通常の黒鉛が等方性のもののみであることをいうものではないから、右記載から熱分解処理をされない通常の黒鉛が異方性であるとの引用例二ないし四の記載から認められる事実を覆すには足りない。また、審判乙第二号証の前記記載は、結晶の配向が等方性になった黒鉛を用いた電極が存在することを述べたにすぎないのであり、前記の記載に続けて異方性の大きい黒鉛を電極に用いることも記載されているから、この記載から引用例一に記載の通常の黒鉛が異方性であることを覆すことはできない。
d さらに、「化学便覧応用編」(昭和五五年三月一五日丸善株式会社発行、日本化学会編、改訂三版、)には、「炭素は結晶構造のうえからは、無色のダイヤモンドと黒色の炭素(黒鉛)とに大別される。・・・黒鉛はsp2混成の六角形の網面がπ電子を介して層状に積み重なった構造をしており、結晶は六方晶系(まれに菱面体晶系)に属する。」(四一四頁左欄)、「通常、炭素材料といわれるものは上述のように、結晶構造からはすべて黒鉛系に属するものであるが、慣習的には炭素質と黒鉛質とに区別されるのが通例である。炭素質は無定形あるいは微晶質炭素などともよばれているように、一般に結晶の発達の程度の低いものの総称であり、結晶の大小、その配列の度合いなどによって、黒鉛質に至る間にいろいろの中間的な構造が存在し、これらの間には明確な変態点が存在するものではない。・・・黒鉛結晶はその構造から明らかなように、高度の異方性をもっており」(四一四頁右欄)と記載されている。
一方、引用例一には、「炭素もしくは黒鉛繊維」を活物質中に添加する旨記載されており、黒鉛と炭素を区別している。
e そうすると、引用例一に記載されている黒鉛は、程度は不明であるが、少なくとも異方性を有するものと認められる。
f 本願発明に係る黒鉛は「異方性の大なる黒鉛」と限定されているが、本願出願に対する別件の特許異議申立て(特許異議申立人 湯浅電池株式会社)に対する請求人の答弁における「本願発明は異方性黒鉛の性質を利用するものであり、異方性のないものでは勿論本願発明の目的は達成されず、異方性の大なる程その効果が発揮されるものであるから、そういう意味での異方性の大なる黒鉛である。」との主張などからすれば、前記の限定は引用発明一で用いる通常の黒鉛の異方性の大きさの範囲を含むものと認める。そして、本願発明によって奏される効果も通常の黒鉛が具備する異方性の大きさであれば異方性の大きさによる程度の差こそあれ、多かれ少なかれ期待できる効果であって、前記の限定によって格別の効果が奏されたとは認められない。
以上のとおり、「異方性の大なる黒鉛」としたことにより格別の差異が生じたとは認められないので、実質的な相違とは認められない。
(三) 相違点ウについて
a 「厚形」との表現からはその程度が不明であるが、本願発明の実施例からみて、厚さ三ミリメートルのものは厚形正極板に含まれるものと認める。
b しかし、この程度の厚みの正極板は過去の自動車用蓄電池の極板として普通に用いられていた厚みであり、極板の厚みをどの程度とするかは、必要とする電池容量や寿命などの電池特性にあわせて適宜選択決定される設計事項であるから、引用発明一の正極板として厚形のものを選択する程度のことは当業者ならば適宜なし得るものと認められる。
(四) 相違点エについて
電池寿命と極板群の電槽挿入工程の作業性を考慮すると、極板群の加圧力(本願発明における圧迫度に相当する。)を二〇ないし五〇kg/dm2とすることが望ましいことは、引用例五の前記記載から明らかであるから、引用発明一の極板群の圧迫度を引用例五に示された範囲内の三〇ないし五〇kg/dm2にすることは、当業者が適宜選択決定し得る事項であって、本願発明において圧迫度を右のように選択決定したことによって、格別の効果が奏されたとは認められず、右相違点は当業者が電池寿命と作業性の向上を意図して容易に変更し得る程度の差にすぎない。
5 よって、本願発明は、前記各引用例の記載に基づき、当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法二九条二項により特許を受けることができない。
四 審決の取消事由
審決の理由の要点1、2は認める。ただし、同2(一)の「活物質中に黒鉛を添加した・・・」とある「黒鉛」は、「黒鉛繊維」であり、同2(二)の「(黒鉛の)」とあるは、「(天然に産出する黒鉛結晶)」である。同3(一)は争うが、同3(二)は認める。ただし、同3(二)の相違点イにおける引用例一の「黒鉛」は「黒鉛繊維」である。同4(一)のうち、aは認めるが、bは争う。同4(二)のうち、b及びdは認めるが、その余は争う。同4(三)のうち、aは認めるが、bは争う。同4(四)及び同5は争う。
審決は、各相違点についての判断を誤まり、ひいては本願発明の進歩性を否定したものであるから違法であり、取消しを免れない。
1 相違点アについての判断の誤り(取消事由(1))
審決は、引用発明一の活物質に硬質活物質を選択使用することは当業者が容易に選択決定できる程度のことにすぎないとするが、右判断は誤っている。すなわち、本願発明は、寿命性能は良好であるが初期性能に劣る鉛蓄電池の初期性能の改良を目的とするものであり、右課題を解決するために、異方性の大なる黒鉛が硫酸中で陽極酸化する現象を利用したものである。すなわち、右現象によって黒鉛が膨張することにより、正極活物質の多孔度の増加と極板群の加圧を図り、正極活物質の脱落を防止して、初期性能を向上させ、電池寿命及び初期性能共に優れた鉛蓄電池を可能としたところに本願発明の意義があるのであり、本願発明においては、硬質正極活物質を使用することが発明成立の必須要件である。
軟質の正極活物質は、もともと活物質の多孔度が高いため、寿命性能には劣るが、初期性能は良好なため、活物質の多孔度を上げても初期性能の改善は僅かであるばかりか、それ以上多孔度を上げると寿命性能も低下するため、軟質の活物質に異方性の大なる黒鉛を添加することは、黒鉛の膨張により活物質が軟弱となり、正常な状態の極板は得られない。
したがって、本願発明では、硬質活物質を選択使用することが発明成立の必須の要件であるのに対して、引用例一にそのような記載がないという相違は、正に両発明の作用効果の相違から必然的に導かれているのであり、本願発明の作用効果に想到しない当業者に硬質活物質の選択が容易であるとはいえないから、審決の判断は誤っている。
2 相違点イについての判断の誤り(取消事由(2))
審決は、本願発明において「異方性の大なる黒鉛」としたことにより引用例一における「炭素もしくは黒鉛繊維」を活物質中に添加したものと格別の差異が生じたとは認められないので、実質的な相違とは認められないとするが、以下に述べるように誤っている。
まず、本願発明の特許請求の範囲にいうところの「異方性の大なる黒鉛」とは、少なくとも本願発明の明細書中の実施例に記載された「市販の天然黒鉛を二〇〇〇℃で加熱処理」したと同程度の異方性の大きさを有しているものと考えるべきであり、これより異方性の小さな黒鉛は包含していないのである。黒鉛の異方性の程度についてはこれを定量的に規定する方法は現段階においては存在しないため、前記のような限定方法が採られているものであるが、これによっても、当業者間においては、一定の限定として理解されているところである。
これに対し、引用発明一は「引っ張り強度三〇〇kg/mm2以上の炭素もしくは黒鉛繊維を活物質中に二~五%添加した極板を備えることを特徴とする鉛蓄電池」であり、そこにおける黒鉛とは、炭素又は黒鉛繊維であるところ、その実施例からみるとポリアクリルニトリルを原料とする黒鉛繊維であるからこれは、甲第九号証の表五・九二の炭素繊維に該当するものである。そして、このような炭素繊維は異方性の程度が小さいため、陽極酸化によって殆ど膨張しないことは、黒鉛繊維を一〇〇〇℃で熱処理した試料を用いて一八〇mol/lの濃硫酸中で陽極酸化を行た結果、「第二ステージの層間化合物の生成は繊維の直径をわずかに増大させただけでc軸方向での伸び量が直接直径の増大につながらなかった。」(甲第一〇号証四四頁参照)との記載から明らかである。また、黒鉛繊維の異方性の大小については、「Graphite fiberの構造は天然グラファイトやグラファイト結晶とは全く同じではない。黒鉛化(Graphitizationed)という言葉は構造上の意味に使っているのではなく、二〇〇〇℃以上の温度で加熱処理したという意味に使用している軌」、「炭素繊維は一般に二〇〇〇℃以上に炭化してもX線的に十分な黒鉛構造をとらないことが多い。」とされており(昭和四七年六月一五日近代編集社発行、「炭素繊維」五一頁、甲第一四号証)、このことからも黒鉛繊維の異方性が大でないことは明らかである。
以上から明らかなように、黒鉛繊維は本願発明の特許請求の範囲にいうところの「異方性の大なる黒鉛」に該当七ないことは明らかであるから、引用発明一の「炭素もしくは黒鉛繊維」を活物質中に添加したものと実質的な相違がないとする審決の判断は誤りである。
3 相違点ウについての判断の誤り(取消事由(3))
審決は、本願発明の正極板の厚みは、自動車用蓄電池の極板として普通に用いられていた厚みであり、極板の厚みをどの程度にするかは、適宜選択決定される設計事項であり、引用発明一の正極板として厚形のものを選択する程度のことは当業者ならば適宜なし得るとするが、誤りである。
本願発明における厚型正極板の採用は、本願発明が異方性の大なる黒鉛が陽極酸化を受けると結晶がC軸方向に膨張するという特性を利用したことによるものであるから、かかる本願発明の思想からすると、正極板は必ず厚型であることを要するものであるから、本願発明の右の技術思想に想到しない当業者には、本願発明の厚型正極板の採用が容易に想到し得るものではないというべきである。
したがって、引用例一の記載では、正極板の厚さについて特に言及していないが、本願発明では正極板は必ず厚型でなければ発明が成立しない発明成立の必須の要件あるから、本願発明の作用効果に想到しない当業者にとって、その選択が容易であるとはいえず、これを容易であるとする審決の判断は誤っている。
4 相違点エについての判断の誤り(取消事由(4))
審決は、本願発明において、極板群の圧迫度を三〇~五〇kg/dm2にすることは、当業者が適宜選択決定し得る事項であり、本願発明において圧迫度を右のように選択決定したことによって、格別の効果が奏されたとは認められないとするが、右判断は誤りである。すなわち、引用発明一の極板群に本願発明と同じ三〇~五〇kg/dm2の圧迫度を加えることは適宜なし得ることかもしれないが、これによって、引用発明一が引用発明五以上の効果を何ら期待できないのに対し、本願発明においては、極板群に三〇~五〇kg/dm2の圧迫を加えることと正極活物質に異方性の大なる黒鉛を添加することの相乗効果によって、極板群に五〇~一〇〇kg/dm2の圧迫を加えたのと同様の効果が得られるものであるから、審決の前記判断は誤りである。
第三 請求の原因に対する認否及び反論
一 請求の原因に対する認否
請求の原因一ないし三は認めるが、同四は争う。
二 反論
1 取消事由(1)について
原告は、「硬質活物質を選択使用することを妨げる格別な阻害要因がない」とした審決の認定判断を誤りであると主張するが、以下に述べるとおり失当である。すなわち、乙第一号証には、練液量を少なくするとペーストは硬質となり、多孔度の小さい極板が出来ること、こうした硬質ペーストは一般に初期容量は小さいが寿命の長い極板を作るといわれていること、さらに、練液量の多少並びに練液比重の高低は、これによってペーストの硬度が変り、極板乾燥後の多孔度に関係し、活物質の発揮する容量及び寿命を決定する因子となること、電池の用途に従って、練液比重と量の選択が問題となる旨の記載があり、かかる事項は周知の事項である。また、同号証には、「通常のペースト式電池においては、その多孔度は陽極板において、四〇~六五%であり、陰極板においては五五~六五%である。特に急放電を必要とする電池においては、利用率を向上させるために薄型極板を使用するのみでなく、電解液の拡散を良好とする意味で多孔性とし、内部活物質層に反応が及ぶようにしてある。即ち多孔性に富む程、放電電流の大小による極板放電容量の差が少なくなるわけであるが、第一三七図、一三八図よりも明らかな如く、多孔度を大とすれば、それだけ極板容量は相対的に大となるものでなく、多孔度の或る値以上では却つて減少する。即ち余りに活物質を多孔性にすると、活物質の絶対量が僅少となり、そのため逆に容量は減少することとなる。・・・又一般に陽極板においては多孔度を小として、硬ペーストとした方が、寿命性能の良好な極板が得られ易い。」との記載があり、この記載によれば、極板の容量と多孔度、極板の多孔度と寿命にはそれぞれ関係があって、極板の所望の容量及び寿命に応じて極板の多孔度ないし活物質硬度を選択する必要があることも周知の事項であるといえる。
してみると、引用発明一の活物質を硬質活物質とするか軟質活物質とするかは、電池の用途、必要とする初期容量、寿命などを考慮して選択決定すべきことであり、特に、乙第一号証の「一般に陽極板においては多孔度を小として、硬ペーストとした方が、寿命性能の良好な極板が得られ易い」との記載と引用例一の「本発明は、・・・寿命性能の優れた鉛蓄電池を提供しようとするものである。」との記載を勘案すると、引用発明一の活物質に硬質活物質を選択使用することは、当業者が当然考慮すべきことであるから、同発明の活物質に硬質活物質を選択使用することを妨げる格別な要因はない。
2 取消事由(2)について
原告は、本願発明の「異方性の大なる黒鉛」と引用例一記載の「黒鉛」とを、審決が「実質的な相違は認めることはできない」とした点を非難するが、失当である。すなわち、本願発明の「異方性の大なる黒鉛」とは、黒鉛の異方性を定量的に限定したものではなく、いわば荒っぽく大雑把に表現したものであるから、実施例に記載されたものを含むとはいえ、実施例に記載されたものよりも異方性の小さいものをすべて除外するものではない。また、黒鉛の異方性についての右限定により格別の効果を奏するものでもない。
これに対し、引用例一においては、活物質中に「炭素もしくは黒鉛繊維」を添加した正極板が示されているところ、同引用例では、「黒鉛繊維」と「炭素繊維」が区別して記載されており、これと乙第二号証の「広義に炭素繊維とよぶ場合、一〇〇〇~一五〇〇℃で熱処理した炭素質繊維と、二五〇〇℃以上の高温で熱処理した黒鉛質繊維の両方が含まれる。」との記載を総合すると、引用例一の「黒鉛もしくは黒鉛繊維」とは、右の「二五〇〇℃以上の高温で熱処理した黒鉛質繊維」を包含するものと解することができる。そうすると、引用例一の「炭素もしくは黒鉛繊維」が「二五〇〇℃以上の高温で熱処理した黒鉛質繊維」を包含することから、同引用例には、活物質中に「黒鉛」を添加した正極板が記載されていることは明らかである。そして、一般に、「黒鉛」が異方性を有するものであることは、甲第四号証に「黒鉛が硫酸と反応して黒鉛酸性硫酸塩層間化合物をつくることによりC軸方向に膨張する。」との記載からも明らかであり(甲第二~四号証)、本願発明の「異方性の大なる黒鉛」が黒鉛の異方性を定量的に限定したものでなく、かつ、右限定により格別の効果を奏するものでないことは前述のとおりであることからすると、本願発明の「異方性の大なる黒鉛」と引用例一の「黒鉛」との間の差は単なる表現上のものにすぎず、実質的な相違と認めることはできないから、結局、審決の認定判断に誤りはない。
なお、原告援用の甲第一〇号証には、「第二次ステージの層間化合物の生成は繊維の直径をわずかに増大させただけでc軸方向での伸び量が直接直径の増大につながらなかった」と記載されているが、これは、黒鉛繊維のC軸方向での伸び量が直接直径の増大につながらなかったことは示しているが、黒鉛繊維のC軸方向での伸び量の大小や異方性の大小については何も示していない。また、原告は、甲第一四号証に「Graphite fiberの構造は天然グラファイトやグラファイト結晶とは全く同じではない。」、「炭素繊維は一般に二〇〇〇℃以上に炭化してもX線的には十分な黒鉛構造をとらないことが多い。」と記載されていることから、黒鉛繊維の異方性は余り大きくはないと主張するが、右記載中に「全く」、「十分な」、「多い」などの記載があることからすると、右記載事項は、引用例一の活物質中に「黒鉛」を添加した正極板が記載されていることを否定する理由とはなり得ない。かえって、右甲号証には、「黒鉛質繊維とは炭化温度二〇〇〇℃以上で電気比抵抗一〇マイナス三乗~一〇マイナス四乗Ω・cm付近である」との記載があり、これは黒鉛質繊維の電気比抵抗が一〇〇〇~一〇〇μΩ・cm付近であることを示し、甲第九号証記載の表5・92に記載の黒鉛質の比抵抗六〇〇~一〇〇〇μΩ・cmや熱分解炭素の比抵抗一〇〇~二〇〇μΩ・cmと比較しても遜色がなく、このことからも黒鉛質繊維が異方性の大なる黒鉛と異ならないことを示しているのである。したがって、原告の前記主張も失当である。
なお、甲第一六号証一四一頁には、高温処理された炭素繊維が高度に配向された構造をとることが記載されており、この「高度に配向された」とは、異方性が大きいことを意味しているのであることからも、引用例一に本願発明の異方性の大なる黒鉛が示されていることは明らかである。
3 取消事由(3)について
極板の厚みが電池の放電容量や寿命性能に影響を及ぼすことは周知の事項である。そこで、極板の厚みをどの程度とするかは、必要とする電池容量や寿命などの電池特性にあわせて適宜決定される設計事項であり、このことは引用発明一においても同様である。したがって、審決が、引用例一に「記載された発明の正極板として厚型のものを選択する程度のことは当業者ならば適宜なし得るものと認める」との判断に誤りはない。
4 取消事由(4)について
原告においても、引用発明一の極板群の圧迫度を引用例五に示される範囲内の三〇~五〇kg/dm2にすることは当業者が適宜選択決定できることを否定していない。そして、本願発明の実施例は、異方性が大なる黒鉛の添加がない従来品と比較して本願発明の電池の極板群に加えた圧迫による効果を示したものであって、引用発明一の極板群の圧迫度を三〇~五〇kg/dm2にすることによる効果がどのようなものであるかについては一切示していない。したがって、本願発明において、極板群の圧迫度を選択決定したことによって、格別の効果が奏されたと認めることはできないから、審決の認定判断に誤りはない。
第四 証拠
証拠関係は書証目録記載のとおりである。
理由
一 請求の原因一ないし三の事実及び本願発明と引用発明一との相違点が審決の理由の要点に摘示のとおりであることは当事者間に争いがない。
二 本願発明の概要
成立に争いのない甲第三号証(本願発明に係る出願公告公報記載の明細書)によれば、以下の事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。
すなわち、本願発明は、ペースト式鉛蓄電池の改良に関する発明であり、初期性能に優れ、かつ、寿命性能も良好な鉛蓄電池の提供を目的とするものである。一般に、鉛蓄電池は正極板の劣化によって寿命が尽きる場合が多く、寿命性能を改良するために、従来は、正極板の厚みを大きくしたり、ペースト密度を高くし、活物質を硬質化する方法が採用されていたが、かかる方法による場合には、初期性能が悪化するという問題点を有していた。また、初期性能を改善するためには、正極活物質に炭素繊維や黒鉛を添加することが提案されていたが、これを前記のようなペースト密度の大なる正極板に適用してみても性能改善効果は僅かであり、初期性能と寿命性能を両立させることは困難とされてきた。
本願発明は、右の各性能を両立させるため、異方性の大なる黒鉛が陽極酸化を受けると結晶がC軸方向に膨張するという特性を利用し、ペースト密度が大きい正極板(硬質活物質を充填した正極板)に異方性の大なる黒鉛を添加することにより、寿命性能を改善するとともに、多孔度を増加させて、硬質活物質の正極板であっても初期性能をも向上させることを目的として、前記本願発明の要旨記載の構成を採択したものである。すなわち、黒鉛は、炭素原子の正六角平面網が層状に積み重なった構造の結晶であり、層平面内は共有結合によって強力に結合されているが、層平面間はフアンデルワールス力によって結合されているだけで弱く、黒鉛の結晶内で層間化合物が生成すると層平面間隔が拡がって結晶はC軸方向に膨張するとの知見を利用するものである。かくして、本願発明では、硬質の正極活物質に異方性の大なる黒鉛を添加した正極板を用いることによって、電池の充電によって、黒鉛は損傷を受けることなく膨張し、周囲の活物質に作用して活物質の多孔度が増す結果、初期性能が向上する効果が得られた。さらに、このような異方性の大なる黒鉛が陽極酸化すると膨張するという特性を利用することによって一層寿命性能を改善することもできる。従来、極板群を圧迫して正極活物質の脱落を防止すれば、鉛蓄電池の寿命が長くなることが知られていたが、反面、圧迫度を高めると、電池を組み立てる際に、電極群を電槽に挿入することが困難となるため、通常、比較的容易に挿入することができる三〇~五〇kg/dm2の圧迫度が採用されているが、この程度の圧迫度では、寿命の向上はあまり期待できないところであった。ところが、本願発明においては、この程度の圧迫度でも、異方性の大きい黒鉛を添加することにより、電池を充電する際、硬質の正極活物質が膨張することにより圧迫度が高まり、寿命の向上を図ることが可能となった。
三 取消事由についての判断
1 取消事由(1)について
原告は、審決が、相違点アについて、引用発明一の活物質に硬質活物質を選択使用することは当業者が容易に選択決定できる程度のことにすぎないとした判断は誤りであると主張するので、以下検討する。
成立に争いのない甲第一一号証(昭和五〇年四月一五日株式会社電気書院発行、吉沢四郎監修「電池ハンドブック」)及び同乙第一号証(昭和二八年一二月一日共立出版株式会社発行、田川博著「電池及び蓄電池」)によれば、以下の事実が認められる。
すなわち、多くの鉛蓄電池に採用されているペースト式極板においては、鉛又は鉛合金からなる格子体に鉛粉、リサージ等からなるペーストを充填して活物質としているところ、ペーストを製造する際、練液量を少なくすると硬いペーストができ、多孔度の小さい極板ができる。このような硬質ペースト(硬質活物質)で作られた極板は、初期容量は小さいが寿命は長い。これに対し、練液量を多くすると軟らかいペースト(軟質活物質)となり、多孔度の大きい極板ができ、容量は大きいが、寿命は短くなる(例えば、前掲乙第一号証には「ペースト作成の際、練液量を少なくするとペーストは硬質となり、多孔度の小さい極板が出来る。こうした硬質ペーストは一般に初期容量は小さいが寿命の長い極板を作るといわれている。逆に、練液量の多いペーストは軟質ペーストとなり、多孔度が大で、多少寿命は犠牲にしても容量の大きいことを要求される極板を作る。」一〇三頁下から一行ないし一〇四頁六行と記載されている。)。
以上によれば、鉛蓄電池の寿命及び初期容量と活物質の性質との関係について、鉛蓄電池の寿命を長くするためには硬質活物質を採用すればよいが、この場合には初期容量は小さくなり、逆に、初期性能を大きくするためには、軟質活物質を採用すればよいが、この場合には寿命性能が犠牲にされるという関係にあるとの知見が本願出願前の周知の技術的事項であったものということができ、この知見に基づいて、寿命性能の向上あるいは初期性能の向上のいずれかの達成を目的として活物質の選択を行うことは、当業者において適宜なし得るところであったことは明らかなところである。
しかしながら、本件全証拠をみても、本願出願前において、同一の活物質で右両性能の両立を図ることを可能とする知見が存在した事実は認められないところ、既に前記二に説示したところによれば、本願発明は、初期性能と寿命性能の両立を課題とし、寿命性能の長い硬質活物質の正極板に異方性の大なる黒鉛を添加する構成を採択することにより、寿命性能の他、初期性能をも備えた鉛蓄電池を提供するものであり、両性能のいずれかを考慮して活物質を選択するかを問題としているわけではないから、本願発明の右課題及び構成について示唆のない前記周知の技術的事項から、引用発明一の活物質において、当業者が硬質活物質を適宜選択し得たとする審決の判断は誤っているものといわざる得ない。
2 取消事由(2)について
審決の判断に誤りがあることは、既に前項に説示したとおりであるが、本願発明の構成において、「異方性の大なる黒鉛」の採択が、初期性能と寿命性能の両立のために極めて重要な要素であることは前掲甲第三号証の記載から明らかなところであるから、さらに、取消事由(2)についても検討を進めることとする。
成立に争いのない甲第二一号証(昭和四六年五月二〇日株式会社岩波書店発行、玉虫文一他七名編「岩波理化学辞典」第三版)によれば、「異方性」とは、「物質の物理的性質が方向によって異なること、結晶体では結晶軸の方向に関して考える。」ことをいう(九〇頁右欄六、七行)ものと認められる。なお、右甲第二一号証の「異方性」の項には、前記の結晶に関する記述のほか、「結晶でなくても、圧延した金属、引張りを加えたゴムや繊維などは異方性をもつ。」との記載も認められるところであるが、本願発明の構成要件として採用された「異方性」の概念が前者の結晶に関する異方性であることは、既に認定したように、本願発明が黒鉛結晶がC軸方向に膨張するとの特性を利用するものである点から明らかなところである。
ところで、前記当事者間に争いのない本願発明の要旨の記載においては黒鉛の異方性について「異方性の大なる黒鉛」と規定しているところであるが、本件証拠中の化学辞典等の一般的学術書には、黒鉛の異方性について、「非常に異方的である」(成立に争いのない甲第五号証、昭和四六年五月二〇日株式会社岩波書店発行、玉虫文一他七名編「岩波理化学辞典」第三版三五七頁三四、三五頁)とか、「強い異方性を持っている。」(成立に争いのない甲第六号証、炭素材料学会編「炭素」一九七八年九四号一〇六頁下から九行)とか、「著しく異方性である。」(同甲第九号証「化学便覧」四一八頁左欄七行)などと定性的に表現されていて、これらの表現を参酌しても、前記の本願発明の要旨における黒鉛の異方性の程度を一義的に明確にすることはできないものといわざるを得ない。
そこで、以下、本願明細書の発明の詳細な説明を参酌しながら、右記載の意義を検討することとする。既に前記二に認定したように、本願発明においては、異方性の大なる黒鉛が陽極酸化を受けると結晶がC軸方向に膨張するという特性を利用し、初期性能と寿命性能の両立を図ったものであるところ、本願明細書(前掲甲第三号証)中において、本願発明に使用される黒鉛の異方性の程度を知る手掛かりとなる記載は、本願発明の実施例に係る記載のみであり、これによれば、市販の天然黒鉛を二〇〇〇℃で加熱処理したものが異方性の大なる黒鉛として示されており、かかる黒鉛を正極活物質に添加し、極板群を三〇~五〇kg/dm2で圧迫した電池とこのような黒鉛の添加のない従来の方法による電池とを対比したところ、初期性能及び寿命性能共、従来品よりも優れた結果を示したとの記載が認められ、他にこれを左右する証拠はない。
ところで、天然黒鉛の異方性の程度については、成立に争いのない甲第一三号証(昭和四六年五月一〇日共立出版株式会社発行、結晶工学ハンドブック編集委員会編「結晶工学ハンドブック」)には、「黒鉛単結晶の合成はきわめて困難であり、現在のところ十分な大きさ、特にc軸方向に十分な厚さをもった単結晶は得られていない。したがって、各種の物性研究のための測定はほとんど天然産のものから選ばれた良質の黒鉛単結晶について行なわれてきた。」(一〇七八頁左欄下から五行ないし右欄一行)との記載が認められ、また、前掲甲第五号証(「岩波理化学辞典」第三版)には、「グラファイト・・・炭素同素体の一つ・・・天然に産出するものは・・・性質はc軸方向に対し非常に異方的である。」との記載が認められることからすると、天然黒鉛は著しく異方性であるということができる。
したがって、以上によれば、少なくとも前記の実施例に示された程度の異方性を有する黒鉛を正極活物質に添加した場合には、かかる黒鉛のC軸方向への膨張という性質により、初期性能及び寿命性能共、従来品以上の性能を得ることができるのであるから、本願発明の特許請求の範囲における「異方性の大なる黒鉛」とは、少なくとも前記の実施例に示された天然黒鉛の異方性に相当する程度の異方性を有する黒鉛を意味するものと解するのが相当というべきである。
被告は、本願発明における「異方性の大なる黒鉛」とは、何ら異方性の程度を限定したことにはならないと主張するが、本願発明の特許請求の範囲の記載において、異方性の程度が定量的に規定されていないからといって(なお、本件全証拠によっても、黒鉛の異方性の程度を定量的に規定する方法が確立されていることを認めることはできない。)、前記の「異方性の大なる」との規定が無意味であり、異方性の程度について限定した意味がないと解するのは相当ではなく、本願発明の目的、構成、効果との関係において前記のように解釈できる以上、前記の異方性の程度に関する文言を無視するのは相当ではないというべきであるから、被告のこの点に関する主張は採用できない。
進んで、引用発明一における黒鉛繊維の異方性の有無ないし程度について検討する。
成立に争いのない甲第一六号証(甲第一四号証はその一部である。)によれば、一般に、炭素繊維は、(1)耐炎繊維(Fireproof Fiber)、(2)炭素質繊維(Carbonaceous)、(3)黒鉛質繊維(Graphite Fiber)に分類されることが認められるところ、同号証には、「Rulandらは『Graphite fiberの構造は天然グラファイトやグラファイト結晶とは全く同じではない。黒鉛化(graphitization)という言葉は構造上の意味で使っているのではなく、二〇〇〇℃以上の温度で加熱処理したという意味に使用している』といっている。」とし(五一頁左欄下から五行ないし右欄二行)、「Rulandのいうように炭素繊維は一般に二〇〇〇℃以上に炭化してもX線的には十分な黒鉛構造をとらないことが多い。」、「高温処理された炭素繊維の構造は、・・・きわめて黒鉛化の高い炭素材であるかに見える。しかし、面間隔や、層の積み重なりの厚さなどからみると、もっとも結晶の発達しているとみられる高弾性率炭素繊維にしても、なおかつ理想的な黒鉛構造からはほど遠い。」(一四一頁左欄下から一三行ないし四行)との記載が認められる。また、成立に争いのない甲第一〇号証(昭和五三年二月工業技術院大阪工業技術研究所発行、「大阪工業技術試験所報告」三五三号)には、黒鉛繊維内の層間化合物の生成に関する研究において、「第2次ステージの層間化合物の生成は繊維の直径をわずかに増大させただけでc軸方向での伸び量が直接直径の増大につながらなかった。」(四四頁一五、一六行)、「層間化合物の生成に伴うc軸方向での伸びはリボン束間に介在する空隙によってほとんどが吸収または緩和された」との記載(同頁二〇ないし二一頁)が認められる。
以上の各記載によれば、黒鉛繊維とは、二〇〇〇℃以上の高温で処理されたという意味で用いられているにすぎず、構造上からみると、天然黒鉛のような高度に発達した結晶構造を有するものではないことが明らかであり、したがって、黒鉛繊維を天然黒鉛と同程度に異方性が大であるということはできないというべきである。
被告は、一般に、「黒鉛」が異方性を有するものであることは明らかであるから、本願発明の「異方性の大なる黒鉛」も引用発明一の黒鉛繊維も共に異方性を有することに変わりはないと主張するが、右主張は、既に説示した本願発明の「異方性の大なる黒鉛」の意義と前記の「黒鉛繊維」の構造上の特質に照らすと、「異方性の大なる」との文言に限定の意義を認めない点でその前提を異にするのみならず、黒鉛繊維の構造に関する前記の知見を考慮していない点で採用し難いものといわざるを得ない。
また、被告は、前記甲第一〇号証の「第二次ステージの層間化合物の生成は繊維の直径をわずかに増大させただけでc軸方向での伸び量が直接直径の増大につながらなかった」との記載について、右記載は、黒鉛繊維のC軸方向での伸び量の大小や異方性の大小については何も示していないと主張する。確かに、右甲号証には、黒鉛繊維のC軸方向での伸び量の大小や異方性の大小についての記載はないが、前記のとおりC軸方向での伸び量がリボン束間に介在する空隙によって吸収又は緩和されてしまう以上、黒鉛繊維全体としての結晶性における異方性は、C軸方向での伸びという観点からみると、大であるとはいえないから、被告の前記主張は採用できない。
被告は、前掲甲第一六号証一四一頁には、高温処理された炭素繊維が高度に配向された構造をとることが記載されており、この高度に配向されたとは、異方性が大であることを意味していると主張する。
しかし、被告援用の箇所は、正確には「リボン状シートポリマーの高度に配向された構造をとり」と記載されているところ、右にいう配向は、リボン状シートポリマー(その意味は必ずしも明らかではない。)という分子であることを窺わせる表現方法からみて、分子の配向による異方性があることは示唆されているとしても、結晶性についての異方性を示唆するものとは考え難く、このことは、同箇所の後にある「理想的な黒鉛構造からはほど遠い」との記載からも明らかなところであるから、被告の右主張も採用できない。
被告は、前掲甲第一六号証の記載に関し、右甲号証には、「黒鉛質繊維とは炭化温度二〇〇〇℃以上で電気比抵抗一〇マイナス三乗~一〇マイナス四乗Ω・cm付近である」との記載(五一頁右欄一六行ないし一八行)があり、これは黒鉛質繊維の電気比抵抗が一〇〇〇~一〇〇μΩ.cm付近であることを示し、甲第九号証記載の表5・92に記載の黒鉛質の比抵抗六〇〇~一〇〇〇μΩ・cmや熱分解炭素の比抵抗一〇〇~二〇〇μΩ.cmと比較しても遜色がなく、このことからも黒鉛質繊維が異方性の大なる黒鉛と異ならないことを示していると主張する。しかしながら、異方性とは、前記のとおり、「物質の物理的性質が方向によって異なること」であるから、電気比抵抗についても一方向についての測定値のみを比較したのでは必ずしも異方性の大小の程度を判断する上で適当でないばかりか、前記のように、前掲甲第一六号証は、前記の被告援用に係る記載部分と共に、前記認定のような黒鉛構造とは異なるとの趣旨の記載部分を有しているのであるから、前記被告援用部分から、直ちに黒鉛質繊維が黒鉛と同様に異方性が大であるということはできず、被告の主張は採用できない。
そうすると、本願発明の特許請求の範囲の「異方性の大なる黒鉛」の意義について異方性の程度を限定したことにはならないとした上で、引用発明一に含まれる「黒鉛」と異ならないとした審決の認定判断は誤っているというべきである。
以上の次第であるから、審決は取消事由(1)及び(2)についての判断を誤っており、かかる判断の誤りがその結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく、審決は違法であり、取消しを免れない。
四 よって、本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 田中信義)